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国際的な競争社会、スイスの教育を見てきた私にとって、臨教審で教育問題について議論するというのは新鮮な喜びだった。 しかし一方では大変な違和感もあった。

高校生の7割程度が授業について行けないという。 大学への進学率は当時、3、4割だった。
3、4割しか大学に行かないのに、その3、4割に適当である授業をやれば、残りの6、7割がついて行けないのは当然だろう。 高校には中学からほぼ全入しているが、すべての中学生が高校進学向けの授業について行けるのか。
そもそも全部が高校に行く必要があるのか。 スイスの大学進学率はいまも十数パーセントである。
普通の親は、牧師か医者になる以外は専門の高等学校に行けという指導をしている。 中学に入る時にすでに将来の進路を決めるのは酷だという意見があるが、自分に合っている仕事とか好きな道を見つけた生徒については、進路を定めて勉学するほど幸せなことはない。
自分の仕事に関連していると思えば、あれもこれも学んでおこうと欲も出てくるだろう。 途中で進路変更するのは相当の困難があるらしいが、その道も準備されている。
私は複線式の職業高校を数多く準備したらどうかとしきりに提案し、他部会の委員にも説得したのだが、「いまの風潮では受け入れられませんね」と誰も熱心に乗ってこないのである。 教育というのは人がどの道に向いているかを見極めて進路を選別してやることが、最大の眼目だと思うのだが、「日本の常識ではそういうのを”差別”といって最も忌み嫌われるのです」と事務方の文部省(現・文部科学省)役人は言う。
教育の荒廃があれだけ叫ばれ、そのために臨教審という審議会もできたのに、誰も教育の根幹に触れようとせず、病理の分析もなく、ついに確たる治療方法も示されなかった。 スイスの小学校は同じ学区の中に3、4校があり、学区内ならばどの学校を選んでも良かった。
私はたまたま近所の小学校に兄と妹の二人を入学させたのだが、妹の友だちにEという子がいて、二人は大親友になった。 Eは当時、強度の吃音で、それをからかう子がいると私の娘は飛び蹴りを食らわせてこらしめたという。
かくてEをいじめる子はいなくなった。 学年の終りにわかったのだが、Eは近くの学校でいじめに遭い、遠くの学校に転校してきて、娘と知り合ったというわけだった。

教育委員会は、学区内の学校が満遍なく評判が良いことを願っているが、ある学校の生徒が極端に減ることがあると、遠くに通わせている親を呼び出して、遠くに通わせるに至った事情を聞く。 その際、ひどい先生がいるとか、校長の学校運営が気にいらないという父母がいると、綿密な調査に入る。
校長には大きな権限があって、未熟な教師や指導力の劣る教師は一存でクビにすることができる。 一方で校長は教育委員会から厳しい勤務評価を受けて、生徒数が減り続けるような運営をしていると、教師に格下げか、クビになってしまう。
学年の終りにEの両親は教育委員会に呼ばれて、「なぜ遠くの学校を選んだのか」を尋ねられ、「差し支えなければ自宅の近所の学校に移るよう」求められた。 両親は私の娘との一件を話して「初めて友だちができたのだからこのまま通わせて下さい」と嘆願した。
校長は感激したのだろう。 わざわざ娘を呼んで、「Eとの友情を大切にして生涯の友だちになりなさい」と励ましたという。
学区制の中の小さな競争制度によってEのように救われる子供が出てくるのを知って、私は臨教審で一学区複数校制を主張してみたが、皆の反応は意外なものだった。 「通うべき学校が決まっているから、父母は安心しているのに、自分で選ぶとなったら、どういう情報を集めたらいいのか。
恐らく父母はパニックになる」というのである。 こういう父母のメンタリティこそ、自ら考えることをせず、独創性も発揮できない教育を生んでいるのではないか。
自らが得意なものは何か、自分は何が好きかを追求させることをせず、ひたすら皆がやるように振舞わせたことが、かくも多くの愚民、父母を生んだのだ。 そういう風潮が尊いとざれてきたのは、日本型のひたすら右肩上がりの経済成長とどのような世の中にも競争が存在する世界は地球的規模の競争に突入した。
その中で、日本独特とされてきた年功序列型賃金、終身雇用は一挙に崩れた。 一方で、一般大学より専門学校の人気が高まってきた。
最近、東京・品川区は一学区一校制をやめてスイス型の複数選抜にした。 まだ顕著な変化は出ていないが、下手な教育をやれば、生徒が減るというシステムは学校現場、教師にいささかの緊張感を与えるだろう。

私は敗戦の年にT中学校に入学したが、時の校長はSという人だった。 彼は赴任する時、子分一統を引き連れてきたが、彼が目指した教育は「精神的にダンディな男になれ」というものだった。
他にも独特の校長がいて、私立中学はもちろんだが府立中学にも”校風”というものが存在した。 父母はそういう校風をも念頭に自らの価値観に照らして学校を選んだのである。
ところが、東京ではMというとんでもない知事が出て、高校に学校群制度というのを持ち込んで、父母が選択できないようにした。 どの高校もまったく特色のないものにした。
それが日教組のいう差別選別なしの平等教育にぴったりマッチしたのである。 その代わり、都立高校はまったく魅力のないものになって、私立が人気を集めるようになった。
こういう競争なしの平等教育が限りなく進行した結果、運動会の徒競走でも皆でゴールの手前の白線まで走って、あとは手をつないでテープを切るという馬鹿気たことをするようになった。 どのような世の中にも競争が存在する。
社会主義社会になっても事情は同じだ。 しかし日本では結果の平等を目指して、同一年齢同一給与を組合が標袴していた。
それが可能だったのは右肩上がりの経済の結果であり、理想を追求してそれが成ったのでもなければ、教育の成果ともまったく関係がない。 世の中が国際的になると、馬鹿と同じ給与ではバカバカしいと、優秀な学者は皆、アメリカに行くようになった。

日教組や文部省(現・文部科学省)の教育方針のおかげですさまじい頭脳流出が起こった。 日本のノーベル賞受賞者は、先日のS教授を含めて9人だが、人口600万人のスイスでさえ19人。
アメリカは230人以上に及ぶ。 日本人はこれを教育制度の欠陥、教育的風土の欠陥ととらえないのだろうか。
徒競走というのは子供たちが始める最初の小さな競争である。 2番や3番になった子は、次は敗けないように走る練習をするようになるだろう。
それでもどうしても勝てない子がいたら、教師は彼に、一番の子を賞讃することを教えねばならない。 また違う分野で勝つことや彼に最も向いているのは何かを探究する手助けをするのも教師の務めだろう。
私は中学のほんの一時期、S校長の教育に触れたせいで、この歳まで、ダンディに生きようと心掛けてきた。 何がダンディかは難しい事柄だが、少なくとも卑怯なことはしないと心掛けてきた。
命を失ってもいいほどの度胸を身につけたいと願ってきた。 負けたら勝者を賞讃する精神を尊いと思ってきた。
バクチに負けたら払いつぶりよくすることで快感を覚えるようになった。 S校長が目指したような校風を育てようという学校はなぜ存在しなくなったのか。

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